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東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館で「Musica ex Machina −機械じかけの音楽−」が開催されます。
その期間中、「自動ピアノ演奏会」が催され、千葉大学教育学部音楽科の山本純
ノ介先生が作曲した作品が演奏されます。
詳細は以下の通りです。
機械じかけの音楽−自動ピアノ演奏会
10月31日(水)18時30分より
会場:駒場博物館 2階
P.ヒンデミット、E.トッホ、C.ナンカロー、山本純ノ介、三輪眞弘、H.ゴチェフ
スキの作品の自動演奏
くわしくは以下のHPをご参照ください。
http://museum.c.u-tokyo.ac.jp/2007.html#musica
演奏会で演奏される作品についての、山本純ノ介先生の解説です。
| <伝統の継承と離反による『汎音楽(はんおんがく)』> |
創作においては,伝統の継承と,離反が必要だ。過去の偉人の追体験から生じる名作は多い。しかし,作曲は新しい『貌(かたち)』も同時に求められているので,離反や,飛躍,又は別系統の発想が欠かせない。
西洋音楽から発展した現代音楽は日本の音楽をはじめ様々な民謡,民族音楽を呑み込んで来たけれど,現在はグローヴァル化され過ぎて,あまりにも多種多様で方向感が稀薄だ。思い切って別系統の創作方法による伝統的な作曲を導入してはどうか。
『ピアノのための絶対音楽2番』(初演は2007年1月7日,オペラシティ
・リサイタルホール)の創作語法は、和声学や,旋律学,12音技法,などからの発想の延長でなく,また音響的な理論で語られるデジタル的なデータの蓄積によるものでもない。ミュージックコンクレートの発想が一部にはあるがそのものではない。創作に際し,古典も含め,これらは十分に消化され,自己の内面に蓄積されていることは理想ではあるけれど,『新たなる貌(かたち
)の曲』を創作する上で,必ず踏襲せねばならないものでもない。いつもの私の作曲方法は,極めてアナログ的でかなり主観的な創作である。完成半ばで,かなり頻繁に,客観的な試聴,試演を繰り返す事もあるし,逆に全く音を出さないで『処女性を追求』することもある。したがって私の場合様々な『経験則の積み重ね』,が語法と言えるかもしれない。
さて,音楽は時間芸術なので,『時間』の使われ方に着目する必要がある。絶対音楽としての単一な経過だけでは無く,重層的な発想を持った多面時間帯の音楽がある。しかしこれらは,『バレエ』『劇判』など,主従関係が云々される。
『ピアノのための絶対音楽2番』はこの主従関係を取り払った『異なる時間軸,時間価値のポリフォニック』を意識した作品だ。音楽の進行時間軸とは異なった価値観の時間が流れる。ひらがな,カタカナ,漢字がオノマトペ的に進化するコンピュータ映像を中心にリアルタイムに演奏されるピアノの鍵盤が重層投射される。機械によって弾かれる鍵盤を観客は奏者のように俯瞰する事が出来る。当然,演奏者は居ないが,前もってプログラムされた,何人かの演奏者を映像によって意識する事が出来る。この曲の場合,演奏者に代わり映像作家によるプログラミングが必要となる。
下記に土佐尚子氏による,初演後のアブストラクトを参照されたい。
絶対的な価値を伴った音楽と抽象的な言葉の映像がコンピュータの制御により同一の時間帯に,別の構造体系を伴った音楽の抽象的視覚化が具現される。新たに創作された初演の音楽を『聴く』と同時に視覚化された音楽を『見る』のである。作曲を『音像化』の発想から『視聴覚化』に拡充する、と同時に聴衆にピアノ演奏者の『視野』も付加される。映像は作曲データにより,MIDI制御で変化する。同時にコンピュータはデジタル制御されたグランドピアノを演奏する。純粋な音楽的欲求から生まれた作曲作品を『データ』とし,音像化する際に,同時に異なったコンセプトによる,音楽の『視覚化』の映像時間軸が現れる。そして俯瞰する撮影機により,聴衆は演奏者の視覚疑似を体験する。バロック,古典から脈々とある西洋音楽の単一時間軸の『音楽』から発展した,多層的な時間軸を持った
『音楽』としての発想による創作で,新たなる『貌』を備えた『汎音楽』である。記譜は,当初『人』が初演する事を前提にしていたので定量記譜で書かれているが,数字でも,グラフにでも置換は可能である。
  
左 :『ぬう=中心音Cis,Fis』等となった瞬間
中央:俯瞰の映像機器から演奏者の視点がインターラクティヴにリアルタイムで投射される
右 :主題の再現に伴い,ソラリゼーションされた,ピアニスト松山元氏が別の作品のFisを弾く映像に
抽象文字や日本的なカルタが重層的に投射される瞬間 |
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